タカイエンタープライズ株式会社は、愛知県海部郡蟹江町に本社を置く、株式会社モスフードサービス(フランチャイズ加盟店)を運営する企業です。私たちのミッションは、『幅広い年齢の方の地域のオアシスを作りたい。』ということです。この想いは、先代社長が寛大で居心地の良い存在であった祖母と過ごした経験を地域に恩返しをしたいと考えたことがきっかけとなっています。
私たちは、この想いを引き継ぎ、事業を通じて地域と社会への貢献を半永久的に行います。経営理念である『人間貢献』『地域貢献』を通じて、皆が誇れる地域作りを目指していきます。誰かの人生に希望や活力を与えられる会社でありたい、そして地域にとってなくてはならない存在を目指しています。今回は、「地域のオアシス」づくりの原点と歩み、事業を通じた人間・地域貢献への挑戦、そしてこれからの共創ビジョンについて、代表取締役社長・髙井様にじっくりとお話を伺いました。
<聞き手=高橋宏輔(学生団体GOAT編集部)>
【プロ野球選手を夢見た道のりと、根性・忍耐強さが現在の仕事に生きるまで】

私の夢は、小さな頃からプロ野球選手になることでした。テレビで見る野球選手に憧れ、プロ野球選手になれると信じて、朝から晩まで公園で野球をしていました。私は愛知県蟹江町の生まれですが、小学校4年生のときに本格的に野球を始めました。中学校時代は三重県の桑員ボーイズで全国大会を経験し、創部10年目で初めて全国大会に出場したチームのキャプテンを務めました。
高校は愛工大名電に進学し、親元を離れて寮生活を送りました。練習は週6日、携帯の持ち込みは禁止、テレビは食堂に1台だけという、野球一色の過酷な生活をしていましたが、おかげで根性と忍耐強さが鍛えられました。高校時代に甲子園に出場し、大観衆の中でプレーできた経験は、今でも宝物です。
しかし、高校入学直後から怪我に悩まされました。足の骨折や古傷の再発により、約1年間野球ができない時期がありました。大学(東海大学)でもプロ野球選手を目指して奮闘しましたが、同級生や先輩後輩には、ジャイアンツ(現オリオールズ)の菅野智之選手、広島の田中広輔選手など、プロで活躍するレベルの選手がおり、レベルの差を痛感しました。
プロ野球選手の夢は叶いませんでしたが、野球を通じて得た経験や精神力は、現在の仕事に活きていると感じています。父からは経営者として「人より秀でていなければならない」「やり続けることが大事だ」と諭され、毎日の積み重ねの重要性を学びました。自分がプロ野球選手に憧れて一生懸命頑張れたように、誰かの人生に希望や活力を与えられる会社でありたいと思っています。
取材担当者(高橋)の感想
髙井社長の幼少期からプロを目指した経験は、目標に向かってひたむきに努力し続けることの価値を教えてくれました。過酷な環境や度重なる怪我に直面しても、小さな頃からの夢が支えになったというエピソードは、目標設定の重要性を改めて認識させてくれました。特にお父様から言われ続けたという「毎日の積み重ね」という意識は、私たち就活生がどんな業界に進んでも通用する、普遍的な能力だと学びました。

【27歳でアルバイトから再出発— 「地獄の1丁目」で得た自己価値】

大学卒業後、父から「早く野球をやめろ」と言われていたこともあり、私はアンダーアーマーを運営する株式会社ドームに就職しました。この会社は当時、年間売上が二桁億円単位で伸びている勢いのある企業でした。(伊藤忠に買収されたため金額は控えますが)今だから言えることですが、朝8時から夜12時まで帰れないような超ブラック企業でもありました。当時のメンバーは、ブランドの価値や魅力を広げているという「自分たちがこの会社を動かしている感覚」を強く実感しており、大変ながらも充実した日々だったと振り返ります。
その後、家業を継ごうと決意しましたが、父(現会長)は厳しく、「お前じゃ無理だから帰ってくるな」と突き放されました。そこで私は、東京・大森にあったモスバーガーの店舗に、27歳にしてアルバイトとして応募し、一から働かせてもらう道を選びました。時給制で生活は非常に厳しかったのですが、真面目に取り組み、周囲からの推薦もあって、約1年後に逆輸入のような形で会社に戻ることができました。
そして、32歳のときに「オーナーになります」と宣言し、社長に就任しました。父が常々言っていたように、経営者は「地獄の1丁目」です。お金も時間も失う覚悟が必要で、社長になって5年の間に家族や友人を失うこともありました。しかし、失ったもの以上に得たものも多く、自分で努力して獲得した経験や成果は、人から褒められる以上の自己満足感、すなわち自分の「自己価値」の獲得につながっています。
取材担当者(高橋)の感想
髙井社長が家業を継ぐまでの道のり、特に父から一度拒絶され、27歳で再びアルバイトからスタートしたというエピソードには、真のプロ根性を感じました。髙井社長が語られた「いろんなものを失ったが、得たものもすごいある」という言葉や、苦労を通じて得た「自己価値」は、恵まれた現代の環境ではなかなか得られない、真の達成感だと感じました。

【「誰からお金をもらっているか」を意識した地域社会貢献と経営】

私たちの経営理念は「人間貢献」と「地域貢献」であり、事業を通じて地域に半永久的に貢献していくことを大切にしています。その根底には、先代社長が祖母と過ごした経験から抱いた「地域への恩返し」の想いが引き継がれています。
私たちが強く意識しているのは、「誰からお金をもらっているか」という点です。モスバーガー事業は、近隣住民の方々から支えられており、売上や利益を地域に還元するという意識こそが、地域社会貢献の原点だと考えています。
地域貢献は、最終的に本業につながることが理想です。これはローカルマーケティングの一環としても位置づけています。また私は教員免許を持っており、学校での職業講話や体験受け入れを継続的に行っています。これは、コロナ禍で採用した学生の離職率が高かったことを受け、学生がどんな教育を受け、どんな思考で生活しているのかを「現場で体感したい」と考えたからです。
取材担当者(高橋)の感想
タカイエンタープライズ様が地域密着型フランチャイズとして成功している背景には、先代から受け継がれた「恩返し」の精神が深く根付いているのだと感じました。企業理念と事業が一体となっており、地域住民との関係性を深める素晴らしい戦略です。地域貢献が単なる社会活動ではなく、結果的に集客や採用にも繋がっているという点は、私たちが企業を選ぶ上で重要な視点だと学びになりました。

【成功に不可欠な「気合いと体力」—若者に求める自分で道を切り拓く能力】

今の経営課題の中心は、やはり「人の雇用」です。特に20代のミスマッチによる早期離職が多いことに懸念を持っています。私は、成功者、特に資本主義社会で成果を上げている人々は、「気合いと根性」を駆使して結果を出してきたと感じています。現代の若者は「気合いや根性はいらない」と思いがちですが、私は自身の野球経験から培った「気合いと根性、そして体力(心の体力を含む)」こそが最も重要だと断言します。
成功するためには、周囲と同じことをしていてはダメで、パレートの法則(2:8の法則)のように、少数派の側にいなければならないと考えています。衝動的なドライブ力だけでなく、徹底した調査と分析(SWOT分析など)も意識してバランスを取っています。若者に強く望むのは、「自分で打破する能力」を持つことです。会社に入った後、与えられた環境や上司に不平不満を言うのではなく、自分の居場所や価値を自ら作り出していくことが必要です。
取材担当者(高橋)の感想
「気合いと体力」という言葉は、一見古い価値観に聞こえますが、その根底にあるのは「困難に立ち向かい、諦めずにやり遂げる力」だと感じました。社長が求める「自分で打破する能力」は、待つのではなく、自ら行動して結果を掴み取ることの重要性を示しています。また、成功するためには、大勢の8割ではなく、少数派の2割に入る努力が必要だという視点(パレートの法則)は、私たちが特に意識すべき成功者のマインドセットだと強く感じました。

【みんなの「やりたい」を叶え、地域で輝く存在へ】

私たちの会社は、将来的に売上10億円(現在は約5億円)を目指しています。そのために、フランチャイズに依存せず、自分たちで利益を生み出せる業態を一つ確立したいと考えています。私は教員免許を活かし、子ども向けスクールビジネスや野球教室、運動機能向上を目的とした教室の立ち上げにも取り組んでいます。
現在特に注力しているのは、「やめない環境を整える」こと、つまり人材定着です。社員やアルバイトが「この会社でこういうことをやりたい」と語ったとき、会社としてそれを叶えられる環境をつくりたいと考えています。
取材担当者(高橋)の感想
「みんなのやりたいを叶えられる会社」というビジョンは、離職率の高さに悩む現代の企業にとって理想的な姿だと感じました。髙井社長は、会社として社員の「やりたいこと」をサポートすることで、ミスマッチを防ぎ、人材定着を実現しようと考えています。また、働く上で「明るく元気でいること」、そして「一生懸命やることは必ず誰かの心を動かす」という言葉は、私が今行っている活動にも通じるものであり、大きな自信をいただきました。社長の熱意と誠実さが、会社の未来、そして地域社会の活力を生み出していくのだと感じています。
