株式会社サンクスドリーム様は、「人」をテーマに、人材派遣、人材育成、そしてブランドの販売代行を行う会社です。代表の関岡英人である私は、その事業を通じて、関わる全ての人にポジティブな影響を与えることを目指しています。今回のインタビューでは、私の波乱万丈なご経歴から、人生や仕事における大切な学びについてお話しします。就職活動を控える学生の皆さんにとって、きっと大きなヒントとなるでしょう。今回は、「人」を軸に事業を展開する同社の原点と、波乱のキャリアから得た学び、そして学生へのメッセージについて、代表取締役・関岡英人様にじっくりとお話を伺いました。
<聞き手=高橋宏輔(学生団体GOAT編集部)>
【どん底から掴んだ「日本一」への道】

私の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。裕福ではない家庭に生まれ、大学進学を諦めざるを得ませんでした。その後、某百貨店に9年間勤めましたが、目標が明確に持てないことや、ノルマの厳しさ、上司との人間関係など全てがうまくいかず、やりがいや仕事への情熱を失い、逃げるように会社を退職しました。
退職後、約50社にエントリーシートを送り、面接に臨みましたが、どこからも採用されませんでした。当時の私は「言い訳ばかりの人間」でしたので、就職活動がうまくいくはずもなく15社ほど落ちた頃には「受かる気がしない」と熱意も下がっていきました。
ようやく見つけた仕事も、うまくいかないことを理由に、転職を繰り返しました。そのような状況を見かねた妻から、地元にあるアウトレットモールの外資系スポーツブランドの店長を受けてみないかと提案され、心を入れ替え面接トレーニングに真剣に取り組んだことで、店長として採用してもらうことができました。
しかし、ここでも売上を巡る上司からの厳しい𠮟責や威圧に直面し、心の病気にかかり、出退勤時の記憶が飛んだり、動悸がしたりといった心身の不調を経験しました。病院ではうつ状態と診断され、一時は家族との別れさえ考えたほどに追い込まれてしまいました。そんな状況を打破するきっかけとなったのは、ある友人の講演会でした。友人の話術は決して上手ではなかったにもかかわらず、聴衆がスタンディングオベーションを送る姿に鳥肌が立ち、友人の「人生は変えられる」という熱いメッセージに深く感銘を受けました。
この経験から、私はそれまでのアルバイトやパートを「学生バイトだろ」「どうせすぐ辞めるんだろ」と見下すような態度を改め、「感謝のマインド」を持つように変化しました。結果として、スタッフの働き方が変わり、チームワークが向上しました。上司から「いらない」と言われた1年後には、そのお店を「日本一の店長」として引っ張るまでに成長し、このことが人生のやる気スイッチに繋がり、自信と夢を持てるようになれたことで、人生を変えることができました。
取材担当(高橋)の感想
関岡様ご自身が、かつては就職活動で50社近く落ちたり、うつ病を経験されたりしたというお話には、非常に驚きました。僕自身もアルバイトが続かなかったり、物事がなかなか続かない人間なので、どこか親近感を覚えました。しかし、そこから「日本一」まで上り詰めた逆転劇は、まさに「どん底から這い上がる」という言葉がぴったりで、どんな境遇からでも人生は変えられるのだという大きな希望をいただきました。

【「人」を育み、夢を応援する経営哲学】

日本一の店長となった私は、エリアマネージャー、西日本統括と出世を重ね、同じ外資系のブランドで重要職に就かないかという誘いを受けました。しかし、私は将来的に講演家になりたいという夢を抱いていたため、その誘いを断り、起業することを決意しました。
当時、私には子供も家族もいました。講演家としてメディアに出た経験もなく、どうしたらその夢に向かって進めるのか悩みました。そこで、「やりたいことではないけれど、自分が得意なことをやろう」という決断をしました。私が得意だったのは「物を売ること」でした。日本一の店長になった実績もありましたので、もう一度自分で「お店を出せる形」で働けないかと考えました。これが、現在サンクスドリームで手掛けている「販売代行」事業の始まりです。ブランドの代理店という形ですが、これは誰にでもできるわけではなく、ブランドとの信頼関係があってこそ成り立つ事業です。
ブランドの西日本統括を務めていた私でしたが、独立するに際し、どうすれば良いか分かりませんでした。そこで、自己啓発の勉強会で学んだ「夢の叶え方」を実践したのです。
その方法は、自分の夢を一人でも多くの方に聞いてもらうことです。「独立したい、独立したい!」と会う人、会う人に繰り返し言い続けたところ、100人近く話した頃、某有名なデベロッパーから連絡があり、売上が悪い店舗の販売代行を引き継いでもらえないかと、お声をかけて頂きました。当時の年収は650万円ほどでしたが、独立すると年収300万円台になる試算でした。
しかし、「日本一の売上を作った自分がやれば、当然もっと売上が取れる」という根拠のない自信を持ち、挑戦しました。周囲からは「やめておけ」「失敗する」「家族を不幸にするのか」など、多くのマイナスな言葉を浴びせられました。それでも、「人生は一度きり」と家族にプレゼンし、妻には「2年経ってダメだったら戻ってね」という約束を取り付け、独立しました。当初は講演や研修の会社を設立したかったのですが、まずは売上が立てやすいブランド販売代行からスタートしたのです。
取材担当(高橋)の感想
関岡様の経営哲学は、単なるビジネスの成功だけでなく、社員一人ひとりの夢を育み、人生を応援することに重きを置いている点に感銘を受けました。特に、独立支援という形で社員の成長を後押しする姿勢は、現代の若者が求める「やりがい」や「自己実現」の機会を具現化していると感じます。また、コロナ禍がもたらした変化への適応と、それを乗り越えようとする関岡様の反省と改善への取り組みは、経営者のリアルな姿を教えてくれます。

【創業からの葛藤と、若者育成への課題】

独立後、翌月からは前年比125%や148%、時には160%という驚異的な売上を出し始めました。しかし、独立する前はアルバイトを含め1000人近いスタッフの上に立ち、メールで指示を出していた立場から、独立後は自らお店に入って接客し、片付けも行いました。アルバイトスタッフからは「毎日売上と言われるのはしんどい」と辞めると言われることもあり、「本当に独立して良かったのか」という葛藤が毎日ありました。
売上が安定し始めると、次々と店舗展開の話が舞い込み、想いを共有できる仲間とお金が増えていきました。しかし、私の本当にやりたかった仕事は、過去の自分のように、「自分に自信が持てない!夢が持てない!」人たちにやる気スイッチを入れる講演会や研修事業でした。そこで、私自身の給料は抑え、社員の給料の方が多くなるように設定し基盤(お店)の安定化をはかり、お金と時間をかけ全国の商業施設に向け営業活動を行いました。
講演や研修の機会を求め続けた結果、滋賀県の商業施設の方から「高いお金は払えないが、ノウハウを話してほしい」と声がかかりました。その講演のアンケート結果を元に、地道に他の商業施設にもアプローチし、講演事業も徐々に広がっていきました。
現在では、人材派遣、販売代行、人材育成、飲食店といった4つの事業を展開しています。創業当初は転職を繰り返し、うつ病も経験した私がゼロからここまで会社を築き上げたことは、多くの方に驚かれます。私のうつ病が治ったきっかけは、薬ではなく「人からの応援」でした。当時の私はアルバイトやパートの人たちを「どうせすぐ辞めるだろう」と見下すような態度を取っていました。
しかし、感謝のマインドに変わってからは、彼らの能力を最大限に引き出すように役割を明確にし、できる範囲で最高のパフォーマンスを求めました。その結果、学生アルバイトが友達を紹介してくれたり、主婦パートが休日出勤を申し出てくれたりするなど、チームの結束が強まり、日本一の店舗へと成長できました。自分の力だけで困難を克服したのではなく、周囲に応援してもらい、「自分は一人ではない」と感じられたこと、そして売上が上がって自信がつき、上司の態度が変わったことで安心感が生まれ、うつ病を克服できました。
取材担当者(高橋)の感想
関岡様がご自身のうつ病克服の経験を通じて、「感謝のマインド」や「人からの応援」の重要性を語られていることに深く共感しました。また、ご自身がかつて抱えていた課題をオープンにし、それを乗り越えた経験を赤裸々に語る姿は、学生にとって大きな勇気となるのではないでしょうか。社員の自立と成長を促しながらも、現在の離職率の課題に対して真摯に向き合う関岡様の姿勢は、組織を率いるリーダーとしての責任感と愛情を感じさせます。

【未来を担う若者へのメッセージ】

独立当初は、アルバイトが社員になりたいと希望する際に、店長が推薦者となり、社員プレゼンを行う採用方法を採用していました。これは、若手社員が手書きで「社員になったら会社にどんなプラスになるか」「将来の願望」をプレゼンし、皆で投票して一人でもサンクスドリームへの入社に対して反対票があれば不採用となる厳格なものでした。しかし、コロナ禍以降はこの採用方法が実施できなくなり、社員間のコミュニケーションや、一緒に頑張る精神が薄まり以前に比べて離職率が高くなっていると感じています。特に販売職は「人気がない」と言われがちで、地方になればなるほど、工場勤務や営業職を好まれる傾向が高いです。
理由としては、販売職はお給料が高くないことや、土日休みではないことを含め、一般職と比べて出入りがしやすく、レベルが低いと言われることも少なくはありません。一番悲しいのは、未来を感じれない!可能性を感じれない!と言われることです。サンクスドリームでもこのような言葉を最後に退職していったスタッフは決して少なくありません。
私自身の反省点としては、社長として、お金以外の「ワクワク」や「やりがい」を社員に十分に提供できていないことだと感じています。たかが70名程度の会社で、そのワクワクを提供できていないことに、大きな反省があります。
かつては「5年で卒業(独立)させる」という計画で、独立道場のように社員の独立を積極的に支援し、過去に4名の社員を独立させてきました。南は九州で2店舗、大阪で3店舗、滋賀で2店舗、東京で2店舗、その他にも独立した社員がいます。しかし、コロナ禍以降は経済状況から独立に踏み出す勇気を持つ社員が減り、会社に残ることを選択する社員が増えました。
社員は会社にとって「宝」であり、残ってくれることはプラスではあるものの、私としては社員にもっと「ヒリヒリ」するような夢を持ち、起業を目指すような熱い人が増えてほしいと感じています。社長に対して意見をぶつけ、「人生一度きりですよ」と言ってくるような、もっと面白い社員が増えることを期待しています。
取材担当者(高橋)の感想
関岡様の未来へのビジョンは、自身だけでなく、関わる全ての人々にポジティブな影響を与え、日本全体を元気にしたいという強い想いに溢れていました。特に、「思い込みの差」や「誰と出会うか」という人生の本質を突くメッセージは、私たち学生がこれからの人生を歩む上で、心に留めておくべき重要な学びだと感じます。ノミの例え話も非常に分かりやすく、挑戦することの大切さを改めて認識させられました。

【終わりに】

将来の夢は、私と関わった全ての人に何かしらのワクワク(可能性)を与えることです。
社員には、引き続き独立を支援し、自分の頑張り方で無限に稼ぎを増やしてほしいと願っています。そして、一番の目標は、独立した社員たちから「社長、ご飯行きましょう」と誘われ、彼らにおごってもらうことです。その際に「あの時、社長に本気で怒られたけど、今こうやって頑張っています」という話が増えたら最高だと思っています。
また、もっと全国で講演もしたいです。企業研修だけでなく、学校を通じて学生にも講演を行い、今の若い世代に「未来の可能性は半端ない!」と刺激を与えたいと考えています。彼らが未来の日本を変える原動力だと本気で信じているからです。私たち50代が元気なうちに、若い世代が憧れる存在となり、彼らに未来の可能性を感じてもらいたいと願っています。子育てに悩むPTAの方々、若い世代との向き合い方に悩む30代・40代の中間管理職、そして誰にも言えない悩みを抱える社長たち。そういった様々な立場の人々の話を聞き、共に頑張り、全国に「出会いで人生が変わる」と思える仲間を増やしていきたいと考えています。
私が思うに、人生がうまくいく人とそうでない人の差は、たった一つ「思い込みの差」だけです。自分には無理だと思うか、自分にはやれると思うか。その思い込みを変える方法は「誰と出会うか」に尽きます。誰と出会い、誰と時間を過ごすかによって、思い込みは変わっていくからです。人の脳は、ノミの習性と同じです。ノミは通常40cm飛び跳ねますが、箱に入れて数日間置くと、箱を外しても30cmしか飛ばなくなります。しかし、そこに40cm飛べるノミを1匹入れると、周りのノミも「自分たちもやれるんじゃないか」と感じ、再び高く飛ぶようになります。このように、一人でも高く飛ぶ存在になってくれたら、今日お話しした意味があると考えています。